ごあいさつ
子育て中のママさん・パパさん、もしくは、これからママパパになる皆様 こんにちは!
ベビーシッターカメラマンのすえこです^^
「子育てをもっと楽しく!!!世界に笑顔を増やしたい!!!」
という想いで日々、活動しています。
小さいころから”すえちゃん”と呼ばれていました(旧姓がすえながだったので)
子どもも大人もすえちゃん・すえさんと呼んで下さいね
皆様は”子育て”楽しんでいますでしょうか?
思い通りにいかないイライラ・命を守るプレッシャー・世間の目・教育していかないといけない重荷、まだ通じない言葉・かんしゃく・周りの子との比較、たくさんの困難の中で、毎日毎日奮闘されているのではないでしょうか?
私もそんな子育て真っ最中の三児の母です。ちょっと長いですが私の想いを聞いてください。
子育てはつらいよ
子供が生まれてから辛い大変なことだらけ。
夜中に何回も起こされたり、離乳食を投げ捨てて食べなかったり、起きたら自分の頭がうんちがまみれになっていたり、徒歩5分の道に1時間以上かかったり、道路を飛び出して知らないおじさんに怒られたり、スーパーの刺身パックをつついて怒られたり、熱を出されて何度も何度も急に仕事を休んだり、…と、次から次へと苦難が押し寄せて、苦しみが永遠に続くんじゃないかと思っていました。(これ、全部実話です笑)
全てがスムーズにいかず、自分ってダメなんだ…辛い、楽しくないと自己肯定感低めな毎日を過ごしていました。
ただ、これらのネガティブな出来事は、すべて「私が作る空気感」が引き起こす事象に過ぎなかったのです。そのきっかけをさかのぼると、私の幼少時代にまで行きつきます。
特に自慢できるものもない幼少期
私は昔から特技もないクラスの地味めな自己肯定感が低めの子どもでした。
よく文集などに書かれている○○ちゃんってこんな子!という欄に、他の子はスポーツが得意とかオシャレとか書いてあるのに、私はいつもニコニコしていると書かれていました。(え?それだけ?)
たぶん家族仲はよかったので、いつもご機嫌ではいられていました。
きっかけは母のうつ
平凡な人生が一変。母は職場の人間関係で私が中学生の時にうつ病を発症してしまいました。
布団から起き上がれなくなったり、盗聴されている!と電話を分解しようとしたり
今までの明るく優しい母はどこへ?というくらい180度変わってしまいました。
1年経っても、2年経っても母のうつは治りませんでした。
母がうつになってから、笑顔が消え、家の空気は変わってしまいました。
私もなんだか毎日イライラ不安定に。
一つの笑顔が消え、周りの笑顔も消えてしまったのです。
うつは心の風邪だって言うけれど、風邪だなんてとんでもない!なったらなかなか治らない!
この時、笑顔と心の健康は人生で何よりも大事なんだ!と気づいたのでした。
そして、その心の健康の状態で、こんなにもその場の「空気感」が変わるんだと実感したのです。
私は、家族の空気感をまとったまま、成長しました。
大学でなかなか友人が出来ずぼっちでご飯食べていたり
会社に入ってパワハラ上司に怒られまくりの日々だったり
孤独な関西転勤で病みそうになったり
人生色々ありつつも、絶対にメンタルは病まないぞ!という気持ちでなんとかやってきました。
全ての常識を覆す、赤ん坊との生活
しかし、そんな私も出産で世界が一変。
赤ちゃんとの生活が始まりました。
日本語も通じず、生活リズムも乱され、どう育てていけばいいかもわからない不安、狭い部屋で2人きりの孤独…
千葉には友達もいないし、この先どうなるんだろう…と、
ネットには不安な事しか書いてないし、もくもくと不安が浮かんでは消え、浮かんでは消え
何だかわからないけど、涙がぽろぽろ
そして、夫の単身赴任が決まり、ある日突然、めまいでぶっ倒れ救急搬送
ヤバい!このままでは産後うつでメンタルを病んでしまう!
と、危機感を覚え、人見知りだけど、死ぬほど緊張しながらも意を決して地域の育児サークルに参加。
ママ友達と出会い、悩みを打ち明けたり、一緒に遊んだりするうちに少しポジティブになってきました。
育休が終わり、仕事に復帰。また世界が一変
しかし、育休が終わり完全ワンオペでのワーママとしての日々が始まり、またネガティブに。
保育園では「仕事が休みの日はおうちで見てください!」と言われ
…え?いつも朝から晩まで1人で死ぬほど頑張っているのに?
仕事で疲れて、家で子守と家事をして、私には味方もいなく、休みもないのか…と深夜に1人でどん兵衛を食べながら落ち込んでいました(そのどん兵衛を食べている時ですら子供が起きてきて邪魔されるという)
毎日ひたすらイライラし、子供に対して「早くしてよ!!」といつも眉間にしわを寄せていました。
日々頑張っているのに誰も褒めてくれない泣
味方もいない泣
むしろ、子どものいたずらで怒られてばかり泣
自己肯定感は地に落ちるばかりで、子どもの成長には目もくれず、余裕のない日々を送っていました。
子どもを通して自分に新しい世界が広がった
そんな私が子育てって楽しいな〜と思えるようになってきたのは2人目の育休に入ってから。
2人目だからある程度の見通しもたつし、上の子は保育園に行っているしイライラも少しおさまり、赤ちゃんの暖かなぬくもりを感じ、かわいいな〜なんて笑顔で過ごせるようになりました。
今までのネガティブな「空気」を、プラスに転じることが出来た瞬間でした。
そして、その空気感は、カメラを手に入れ、さらにあったかいものになっていきます。
自分に余裕ができ新しい趣味(カメラ)を始め、子どもの写真を家に飾ると、不思議と心がほっこりする気持ちに。
あれ?この間はこんな顔だったけど、もう違う顔になっている
と、子どもの成長にも気が付けるようになりました。
子ども自身も自分の写真を見てニッコリ。家族が笑顔で包まれました。
明るい空気は、家族の表情を作り、その表情に気付く心の余裕も作る。
その情景を映し出すのが、カメラでした。
カメラが映し出すのは、家族の自然な空気と、そこから引き出される愛のあふれる表情。
私はどんどん夢中になります。
自分が幸せだと人を幸せにできる
人見知りだけど、勇気を出して「写真撮るよ~」と話しかけて、一眼レフでママや子どもたちの写真を撮ると、みんな喜んでくれて写真を飾ってくれたり、SNSのアイコンにしてくれたり。
一人目の頃には感じることができなかった、幸せな空気が自分の周りにあふれていくのを感じました。
こんな自分でも、人を笑顔にすることができるんだ!大人になっても変われるんだ!と自信が生まれました。
子育てって無限大
そんな自信ができ、変わることができたのもきっかけは”子ども”
子育ての可能性って無限大じゃん!!と感じたのです。
でも、自分もかつては子育てに対して暗い気持ちでいたし、ネットにはネガティブ情報があふれ少子化な世の中。世間は子どもに対して厳しい空気。
これでいいのかな?と自分の中に疑問がわいてきました。
子どもの成長はあまりに早い、気づいたらすぐ終わってしまう
子育てはがむしゃらで、気づいたらあっという間に終わってしまうもの。
カメラを始める前、長男は2歳ごろから保育園帰りに線路沿いで電車を2時間も見ていました。
毎日毎日、暑い日も寒い日も風の日も雨の日も。
暑い…寒い…帰りたい…早く夕飯の支度したい…時間もったいない…いつもイライラしながらそう思っていました。
でも、いつの間にか、気づいたら電車への興味はなくなりそんな日々も終わっていました。
あんなに毎日嫌だと思っていたのに、子供の成長を感じ、同時にすごく寂しくなってしまったのです。
終わってみるとその時の写真なんて全然残っていませんでした。
私にとっては当たり前すぎる日常だったから。
二人でぼーっと毎日電車を見ていた日々、当時はほんんんんんっっっとうに嫌で嫌で辛くて仕方なかったのに、1分1秒でも早くの成長を毎日願っていたのに、今では当時のことが大切な思い出に変わっています。。
いつも当たり前な日常すぎて、特別写真に残したりしていない
でも、戻れない、振り返ってみるとなんだか愛おしかった日々。
そんな時間を自分も、まわりも大切にしてほしい。
脱サラ。新たな挑戦へ
世界を広げてくれた我が子の今を大事にしたい!自分も笑顔で過ごしたい!
自分の周りの子どもの成長を心から喜んだり、頑張るママの笑顔を増やしたい!子育ての空気を楽しくポジティブにしていきたい!
と脱サラしカメラマン・シッターの道を歩み始めました。
目指すのは笑顔のあふれる世界
子供が小さな手を握り返してくれるだけで、あたたかな幸せな気持ちになる
新しい世界を広げてくれる
でも、苦難の連続で、大変だしコスパ的には最悪(メガネとケータイの充電器、何個壊されたことか・・・泣)
死ぬほど毎日頑張っているのに辛いことだらけな気持ちはよっっくわかる!
過去の辛い経験があったからこそ、「空気」の作り方が分かる。
しんどい空気を、あたたかいものへ。
笑顔になれる人を増やして楽しく明るい世界にしていきたい!
自分も子育てを120%楽しみ、笑顔を連鎖させ、幸せを少しでも世界に増やしていきたいと日々働いています。
すえこ
(古口絵里)
千葉に住む三児の母
一男二女(8歳5歳3歳)
生まれは宮城、育ちは神奈川と埼玉、滋賀・兵庫にも住む
趣味 ももクロのライブ・お裁縫(最近編み物も始めました!)
好きなキャラ くまモン・ポッチャマ
ハマっているもの プリキュア(わんだふるぷりきゅあ おもしろい!)
好きなドラクエは3と5 FFは8